大正天皇がお詠みになった御製詩(ぎょせいし、漢詩)の数は、
歴代天皇の中で随一。
しかも桁外れに多い。『列聖全集』(後に「皇室文学大系」として復刊)に収める歴代天皇の中で、
最も多いのが嵯峨天皇(第52代)と後光明天皇(第110代)で、共に
98首(西川泰彦氏『天地十分春風吹き満つ』)。これに対し、大正天皇の場合、確認できているだけで1367首という
(木下彪氏『大正天皇御製詩集謹解』)。
これは、「全集」に収める御製詩の総数358首より多い。
大正天皇の御製詩は、雄大な国史の回想からご日常のさりげない
感情の動きを写し取った御作など、実に多彩だ。
ここでは、「古祠(こし)」(大正3年)一首を謹んで掲げさせて戴く。林間、古祠有(あ)り。
清浄、霊境と称す。
払暁(ふつぎょう)、神に賽(さい)し来(きた)る。
里人、心自(おの)ずからイマシ(人偏+敬)む。村の外れの林。
その中に、古く小さなお祠(ほこら)がある。
常に清らかに保たれ、村人はここを神霊がいらっしゃる場所と呼んで、
敬っている。
朝早く、日頃の神の恩恵への感謝の気持ちを込めて、
皆、丁重にお参りを欠かさない。
人々の心は、こうした長年にわたる伝統的な振る舞いによって、
自ずから節度を保つことが出来る。およそ、そのような意味だろう。
静かで穏やかな調べ(言葉の調子)の内に、当時の日本人の道徳心の
根底に目を届かせられたような御作だ。
それにしても、大正天皇はどのようにして、こうした庶民の暮らしぶりを
ご存じになったのか(西川氏の著書では「東宮〔とうぐう、皇太子〕時代の
行啓〔ぎょうけい、お出まし〕の折の見聞」かと想像された)。国民の生活の実情に深いご関心がなければ、
そもそもこうした御製詩が詠(よ)まれるはずはないだろう。【高森明勅公式サイト】
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